sponsored links
2007年12月04日
第3回 件名:お返事ありがとう
2003−08−29 06:38
件名:お返事ありがとう
冬のソナタさんへ
お返事を頂きありがとうございました。
祖母に付き合ってきた期間、特に介護保険を使うようになってからの7ヶ月強の間、色々なことを感じ、考えてきました。
そうしたことを忘れないうちにまとめ、できれば文章化しておきたいと思っていました。
冬のソナタさんへのメールは一部そのために利用させて貰ったようなものです。
誰だって他者に理解されたいと願っているはずです。
まして痴呆でおそらく違う世界に住んでいる人は、人一倍疎外感を抱いているのではないでしょうか。
年をとるとそれだけでだんだんと可能性が少なくなり、世界が小さくなっていってしまいます。
お年寄りはおそらくそうした現状を嘆き、歯がゆい思い、悔しい思いをしているはずです。
心は捕らえどころがありません。
また、心に対してはこうあるべきと規定することも出来ません。
ですから、人に対してはこれこれの心を持って接しようと思うより、ただ誠実にまっすぐ向き合うだけでいいと思っています。
更に、思いやる姿勢を持っていればなおいいと思います。
人を思いやるには想像力が必要です。
心はきっと後からついてくるものでしょう。
これは自戒を込めて。
もしかすると家族よりも他人のほうが、人を素直に受け入れやすいかもしれません。
家族は過去の確執のようなものが邪魔をするからです。
人はいつでもやり直せるとはいうものの、自分の生きる道を見つけて区切りの歳を迎えられたあなたは幸せです。
理想の介護が出来る場所づくり、似たようなことを僕も考えました。
僕の中では今、居宅介護が一つのテーマとなっています。
居宅介護を現在している或いは居宅介護に移行しようとしている家族をサポートするのに最も適したシステムがどんなものか、少ない経験の中から考えてみたくなりました。
だって介護保険の趣旨から離れて、現状は施設介護へと雪崩をうって移行しているように見えるから。
がむしゃらな時も必要でしょう。
でも海で泳ぐ時のことを想像してみてください。
息切れして溺れてしまっては元も子もありません。
海では波も潮の流れも冷たい水の固まりもあります。
悪いタイミングで水を飲んでしまうこともあるかもしれません。
それでも最低限浮かんでいなければなりません。
そして少しずつでも泳ぎ続けなければ目的地へは辿り着けないのです。
頑張り過ぎないように、常に余力を残して置いてください。
それに介護をするにはそれがたとえ仕事でも、介護する側の心に余裕がなければ出来ないと思うから。
これは老婆心でした。
僕がお役に立てることはきっとごく限られたことでしょう。
それでもまた何か機会がありましたらお話しさせてください。
お祖母さんの症状が薬でコントロールでき、進行も出来るだけ遅いことを祈っています。
シュマリより
P.S.
「冬のソナタ」ってテレビドラマの題名だったのですね。
名前から受ける印象よりはずっとパワフルな方のように感じました。
2007年12月05日
第4回 件名:冬のソナタより
2003−08−29 13:26
件名:冬のソナタより
シュマリさんへ
お返事ありがとうございます。
人の想いって詳しくは忘れてしまいますよね。
いつか聞いた事があります。
「人は忘却の生き物だ」と。
忘れなければ生きていけないと言う意味だそうです。
悲しいけれどそうですよね・・・でも書きとめて忘れないようにするのも自分への戒め、励みになっていいかもしれませんね。
今まで私は知らない人とメールするなんてしないわっと思っていましたが、意外といいものですね。
文章にすると言葉にできない事がすらすらと出てきたりしてちょっと目からうろこです。(笑)
メールボックスを開くのがとても楽しみになっています。
さて介護の話ですが、シュマリさんのメールを読んでいると、痴呆病のことではなく正常な人に対しての接し方みたいだなーと感じてしまいました。
病気の人が正常なのか、正常な人が病気なのかなどと考えてしまったりします。
じつは働いていて実際にそう思う事があるのです。
職員同士でうまくいかないとき患者さんと接するととてもほっとする時があります。
ほっとさせるべきなのにおかしいですよね・・・。
もしかしたら私の心が病んでいるのかもとさえ思います。
深く考えすぎてわからなくなってしまうので止めておきます。
うちのおばあちゃんはもう車椅子で歩く事ができませんが、それなりに特養で楽しくやっていると思います。
私もショッチュウ行きますしね。
パーキンソンの人は表情が無くなると言いますが、家のおばあちゃんは今でも笑う事があります。
良くなる事はないのでたくさんの幸せな時間を作れるようにして行きたいです。
シュマリさんはもしかして文章を書く仕事をしているのですか?
とても上手ですね。
心に響く言葉がいっぱいありますよ。
私にはなかなかできない事です。
うらやましいですよ。
でも落ち着いた感じがしますからきっと年上の方ですよね?
また返事くれたらうれしいです。
待っています。
P.S.
冬のソナタは今BSTVでやっている韓国ドラマです。
自分もああなってみたいと言う無いものねだりですよ。(笑)
件名:冬のソナタより
シュマリさんへ
お返事ありがとうございます。
人の想いって詳しくは忘れてしまいますよね。
いつか聞いた事があります。
「人は忘却の生き物だ」と。
忘れなければ生きていけないと言う意味だそうです。
悲しいけれどそうですよね・・・でも書きとめて忘れないようにするのも自分への戒め、励みになっていいかもしれませんね。
今まで私は知らない人とメールするなんてしないわっと思っていましたが、意外といいものですね。
文章にすると言葉にできない事がすらすらと出てきたりしてちょっと目からうろこです。(笑)
メールボックスを開くのがとても楽しみになっています。
さて介護の話ですが、シュマリさんのメールを読んでいると、痴呆病のことではなく正常な人に対しての接し方みたいだなーと感じてしまいました。
病気の人が正常なのか、正常な人が病気なのかなどと考えてしまったりします。
じつは働いていて実際にそう思う事があるのです。
職員同士でうまくいかないとき患者さんと接するととてもほっとする時があります。
ほっとさせるべきなのにおかしいですよね・・・。
もしかしたら私の心が病んでいるのかもとさえ思います。
深く考えすぎてわからなくなってしまうので止めておきます。
うちのおばあちゃんはもう車椅子で歩く事ができませんが、それなりに特養で楽しくやっていると思います。
私もショッチュウ行きますしね。
パーキンソンの人は表情が無くなると言いますが、家のおばあちゃんは今でも笑う事があります。
良くなる事はないのでたくさんの幸せな時間を作れるようにして行きたいです。
シュマリさんはもしかして文章を書く仕事をしているのですか?
とても上手ですね。
心に響く言葉がいっぱいありますよ。
私にはなかなかできない事です。
うらやましいですよ。
でも落ち着いた感じがしますからきっと年上の方ですよね?
また返事くれたらうれしいです。
待っています。
P.S.
冬のソナタは今BSTVでやっている韓国ドラマです。
自分もああなってみたいと言う無いものねだりですよ。(笑)
2007年12月06日
第5回 件名:シュマリよりまたの返事です
2003−09−01 07:54
件名:シュマリよりまたの返事です
冬のソナタさんへ
一昨日は、茶湯寺と言うところへ祖母の百一日参りに行って来ました。
うちの地域では、百箇日の次の日に菩提寺ではなく、このお寺で供養を行う風習があります。
なんでも百日目に仏様になった故人が、百一日目には仏壇の中のご先祖様の仲間入りをするのだそうで、この日供養したお茶が最初のお茶湯になるとのことです。
また茶湯寺参りの行き帰りによく似た人に会えるとか。
日記を書かないもので(たいてい三日坊主)、大事なことも覚えておきたいことも忘れてしまうばかりです。
結局自分の人生を無くしてしまっているようなものです。
必要な時に正確に再生でき、劣化しない優秀な記憶装置を人間は持ち合わせていないのですね。
僕は、顔も知らない人とメールをやりとりするなんてどーもねっ、と思っていました。
でも或る掲示板へ書き込みをしたら、ある方から僕の疑問点に丁寧に答えたメールを頂いて、特定の領域に共通の関心があるならば、誠実な問い掛けにはちゃんと答えてもらえることを知りました。
その時に返事をメールしたのが最初なんですよ。
冬のソナタさんには、掲示板に書き込むには長すぎるし、ごく個人的な内容も含まれていたので、直接メールした方がいいかなと思ったのです。
メールアドレスが公開されていたもので。
そもそもメールを書くこと自体始めたばかりナンです。
正常な人への接し方みたい、というのは正にその通りです。
僕は正常も病気も区別などしていません。
ボケていようが何であろうが、相手にしているのは人だからです。
更に言えば動物と接することともあまり区別していません。
この場合相手にしているのは生き物ということになります。
人は他者に対して色々な先入観や偏見を持って接してしまいがちです。
でもそうしたものは、人と人が交わる上で邪魔だと思いました。
自分の中を空っぽにして他者に接することの重要性は、祖母に付き合うことで学んだことです。
実はそれ以前に動物と接することで感じていたことでもあったのです。
年をとって多少もうろくしてくると、また痴呆になれば尚更、他者との関係性の中で自我を抑えていたタガがはずれてきてしまいます。
ボケ始めた頃の祖母に言ったことがありました。
「毎日三っ子みたいに駄々をこねて泣いてばかりいて、よく恥ずかしくないな〜?」
すると祖母はすぐにこう答えました。
「もうそんなところはとうに通り過ぎた。」
確信犯だったのです。
こんな具合ですから、或る程度までくると自我を取り繕っていたものがみんなはげ落ちて、或いは自分から脱ぎ捨てて、その人の本質(人間性)そのものが現れてきます。
これはむしろ分かり易い。
人と人の間に入り込んでくる余計なものが向こう側にはなくなってしまうのですから。
かまえたところが無くなってしまうといった感じでしょうか。
きっとそんなことが患者さんと接していてほっとする原因じゃないかと思います。
お祖母さんは笑ってくれるのですか。
それはいいですね。
祖母は泣いてばかりで、こちらの気が滅入ってしまうことが多かったです。
たまに笑っていたりするとかえって気味が悪い位で。
文章を褒められたのは初めてです。
一応、文学部卒業とはいうものの、文学をことさら勉強したことも文学作品をたくさん読んだこともありません。
文章を書いてお金を貰ったこともありません。
いや、そういえば新聞の投書や車雑誌の投稿で、二度程原稿料を貰ったことがありました。
僕は言葉を大事にしたいと思っています。
言葉には言霊(ことだま)が宿っているんだから、と人には言います。
そして、自分の考えや感じたことを借り物でない自分の言葉で伝えたいと願っています。
冬のソナタさんの心に響く言葉があったのなら、それはとても嬉しいことです。
少しは修行の成果が現れたのかな?
僕は、メールを手紙と思って書いています。
まさしくMAIL(郵便物)の感じです。
相手が誰であれ、そのまま出せるような文体です。
ですから落ち着いているように感じられたかもしれません。
確かに冬のソナタさんよりは年上です。
でも実際はかなり子供っぽいので、きっと精神年齢はずっと下じゃないかと思っています。
シュマリより
P.S.
NHKのホームページで「冬のソナタ」のあらすじを斜め読みしました。
カタカナの名前や地名だと覚えられなくて、いい加減に読み飛ばしました。
こんな具合だから世界史が全然だめなんですよ。
結局純愛物なのですか?
きのうは一般的には夏休み最後の日だったので、ギターを弾きながら「夏休み」を歌ってしまいました。
件名:シュマリよりまたの返事です
冬のソナタさんへ
一昨日は、茶湯寺と言うところへ祖母の百一日参りに行って来ました。
うちの地域では、百箇日の次の日に菩提寺ではなく、このお寺で供養を行う風習があります。
なんでも百日目に仏様になった故人が、百一日目には仏壇の中のご先祖様の仲間入りをするのだそうで、この日供養したお茶が最初のお茶湯になるとのことです。
また茶湯寺参りの行き帰りによく似た人に会えるとか。
日記を書かないもので(たいてい三日坊主)、大事なことも覚えておきたいことも忘れてしまうばかりです。
結局自分の人生を無くしてしまっているようなものです。
必要な時に正確に再生でき、劣化しない優秀な記憶装置を人間は持ち合わせていないのですね。
僕は、顔も知らない人とメールをやりとりするなんてどーもねっ、と思っていました。
でも或る掲示板へ書き込みをしたら、ある方から僕の疑問点に丁寧に答えたメールを頂いて、特定の領域に共通の関心があるならば、誠実な問い掛けにはちゃんと答えてもらえることを知りました。
その時に返事をメールしたのが最初なんですよ。
冬のソナタさんには、掲示板に書き込むには長すぎるし、ごく個人的な内容も含まれていたので、直接メールした方がいいかなと思ったのです。
メールアドレスが公開されていたもので。
そもそもメールを書くこと自体始めたばかりナンです。
正常な人への接し方みたい、というのは正にその通りです。
僕は正常も病気も区別などしていません。
ボケていようが何であろうが、相手にしているのは人だからです。
更に言えば動物と接することともあまり区別していません。
この場合相手にしているのは生き物ということになります。
人は他者に対して色々な先入観や偏見を持って接してしまいがちです。
でもそうしたものは、人と人が交わる上で邪魔だと思いました。
自分の中を空っぽにして他者に接することの重要性は、祖母に付き合うことで学んだことです。
実はそれ以前に動物と接することで感じていたことでもあったのです。
年をとって多少もうろくしてくると、また痴呆になれば尚更、他者との関係性の中で自我を抑えていたタガがはずれてきてしまいます。
ボケ始めた頃の祖母に言ったことがありました。
「毎日三っ子みたいに駄々をこねて泣いてばかりいて、よく恥ずかしくないな〜?」
すると祖母はすぐにこう答えました。
「もうそんなところはとうに通り過ぎた。」
確信犯だったのです。
こんな具合ですから、或る程度までくると自我を取り繕っていたものがみんなはげ落ちて、或いは自分から脱ぎ捨てて、その人の本質(人間性)そのものが現れてきます。
これはむしろ分かり易い。
人と人の間に入り込んでくる余計なものが向こう側にはなくなってしまうのですから。
かまえたところが無くなってしまうといった感じでしょうか。
きっとそんなことが患者さんと接していてほっとする原因じゃないかと思います。
お祖母さんは笑ってくれるのですか。
それはいいですね。
祖母は泣いてばかりで、こちらの気が滅入ってしまうことが多かったです。
たまに笑っていたりするとかえって気味が悪い位で。
文章を褒められたのは初めてです。
一応、文学部卒業とはいうものの、文学をことさら勉強したことも文学作品をたくさん読んだこともありません。
文章を書いてお金を貰ったこともありません。
いや、そういえば新聞の投書や車雑誌の投稿で、二度程原稿料を貰ったことがありました。
僕は言葉を大事にしたいと思っています。
言葉には言霊(ことだま)が宿っているんだから、と人には言います。
そして、自分の考えや感じたことを借り物でない自分の言葉で伝えたいと願っています。
冬のソナタさんの心に響く言葉があったのなら、それはとても嬉しいことです。
少しは修行の成果が現れたのかな?
僕は、メールを手紙と思って書いています。
まさしくMAIL(郵便物)の感じです。
相手が誰であれ、そのまま出せるような文体です。
ですから落ち着いているように感じられたかもしれません。
確かに冬のソナタさんよりは年上です。
でも実際はかなり子供っぽいので、きっと精神年齢はずっと下じゃないかと思っています。
シュマリより
P.S.
NHKのホームページで「冬のソナタ」のあらすじを斜め読みしました。
カタカナの名前や地名だと覚えられなくて、いい加減に読み飛ばしました。
こんな具合だから世界史が全然だめなんですよ。
結局純愛物なのですか?
きのうは一般的には夏休み最後の日だったので、ギターを弾きながら「夏休み」を歌ってしまいました。

