本小説はフィクションであり、登場する人物、団体等は全て架空の物です。尚、実在の地域、地名、団体、組織等が登場する場合であっても、それらは全て虚構の世界を形作っているものに過ぎず、現実の世界とは何ら繋がりがありません。  発行者:シュマリ

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2008年04月01日

第40回 件名:シュマリより、札幌でもオーロラは見えた?


2003−11−02 05:58
件名:シュマリより、札幌でもオーロラは見えた?



冬のソナタさんへ


焔さんからの手紙を受け取ったのは、先週の木曜日以来だったので嬉しかった。
ここ2日ばかりなんだか寂しかったんだ。(←ずいぶん身勝手。)

オーロラは北緯36度以北で見られたそうです。
大規模な太陽フレアの影響で、変わった事が起きています。
この辺りだったら八ヶ岳まで行けば見られるかも。
行きたいけれど、行って見られなかったら何しに行ったのか分からなくなってしまうしな〜。
焔さんは‘名前の母’なる太陽の変化で、精神が不安定になったりしないの?

珈琲酒はまだ造った事がありません。
家には梅酒やカリン酒がいっぱいあるものだから。
それでも一度造って飲んでみたくなった!
因みに、炒りたての珈琲豆100グラム、氷砂糖100グラム、焼酎1.8L(ブランデーの方がいいらしい。でも高いお酒を使ったら無意味。)の割合で、3週間後に豆を取り出して、すぐに飲めるらしいです。
熟成させた方がより美味しくなるのだろうけれど。

前回の手紙(Oct.27付)で割愛したことを書いておいたのでまず読んで下さい。

蛆を使った治療の話、以前僕も何かで見たように思います。
確かに合理的だ!
蛆と言えば、以前飼っていた猫が長いシッポを傷つけて、根本に近いところから壊死してしまい、蛆が湧いた事がありました。
この猫の悲しい話も思い出しちゃった。・・・・・
コウモリは鼻がつぶれていて、耳が大きくてグロテスク?
蛆とは共存と言うよりも発生しない環境を整えるべきでしょう。
食糧難の時には貴重なタンパク源になるらしいよ。
時々、ハエやゴキブリも可愛く思える時があります。
ヘン?

礼文島への旅行のお話、ビデオの情景が頭に浮かんでくるようでしたよ。
本当に楽しそうですね。
考えてみれば、僕はあまりそのような旅行はしたことが無いなぁ。
そういえば子供の頃、親戚みんなで行った旅行で、これも赤面してしまうことがありました。
混浴に関することです。
聞きたい?
ところで、利尻島へは行ったんですか?
ご両親は礼文島に住んでいらっしゃったことがあるということですけれど、焔さんはまだ生まれてなかったの?

礼文島での流れ星。
<8月で、1秒間に1回以上>(これは途轍もない頻度で、ちょっと考えられない。1分間に1回の間違い?)と書いてあったから、丁度8月の中旬を中心に毎年見られるペルセウス座流星群かと思ったのだけれど、違ったのかな?
極大日(大体8月12,3日頃)でも1時間に数十個程度のものですよ。

レブンアツモリソウは是非見てみたいものの一つです。
海岸近く(標高の低い所)でも見られるとか?
でも最近は盗掘が多いらしいから、やはり囲いでもされてしまっているのかな?
こちらには、レブンアツモリソウの仲間でアツモリソウが有ります。
但し、山に登らなければ見る事は出来ません。(標高の高い所でなければ生育出来ないのです。高山植物に近い。)
自生地ではどこもひどい盗掘で、ほとんど見る事が出来なくなってしまったと言う事です。
実は何年か前の6月の中旬、富士山のすぐ北にある三ツ峠山(標高1785m)に見に行った事があります。
夕暮れの山頂で、或る山小屋のご夫婦に教えて頂いて、見せて貰いました。
厳重に囲われた花壇のような所に、初めて見る花がいくつも咲いています。
写真で見るよりも貧弱に見えました。
昔は三ツ峠山の山頂の草原(山頂部分は広いのです。)にいっぱい咲いていたそうです。
今は先の山小屋のご主人が何とか増殖方法を見付けて、花壇のような囲いの中で、盗掘に警戒しながら育てています。
夕闇迫る富士山の姿を背景に、目の前の草原に見渡す限りアツモリソウが咲いているところを想像して、悲しくなりました。
里へ持って行っても育つ事のない植物を、たった1度の花を見るために高いお金を出して買う人。
そのお金のためには夜中であろうと、悪天候であろうと山に入って盗掘する人。(条件の悪い時ほど盗掘のチャンスなのです。)
何ておぞましい事を人間は繰り返すのでしょう。

焔さんは転勤族で色々なところへ行ったという事だけど、そうすると住居を移る事にそれほど抵抗はないのかな?
それでも北海道に対する想い(自分の根っこのようなもの)は大きいでしょ?
三つ子の魂百までと言うけれど、15歳位まで、特に10歳位までの生活は、その人の一生に付いて回るし、決して離れられないと思うけど。
おばあちゃんは、同じ市内の関口という所からこちらにお嫁に来たのだけれど、ボケてからはこちらでの生活はどこかへいってしまって、「うちに帰りたいよ〜。」と言い続けていました。
そして今はもう無い茅葺きの実家に「連れてって、ほっぽっておいてくれ。」とも言ってました。
“夕暮れ症候群”と言って、ボケた老人は夕方から夜になると「うちへ帰りたい。」と言うそうです。
その「家」はきっと(生まれ)育った家に違い有りません。
僕だったらきっと、今いるこの家だね、アハハ・・・。
焔さんなら、どこ?

移動を苦にせず、興味の対象に従って住居も移す、って究極の自由人だよね。
何者にも縛られず、常に旅をし、旅を栖(すみか)としているようなものです。
松尾芭蕉が求めた人生の姿でもあるでしょう。
自由という事は反面無責任という事でもあります。
あらゆる世俗的な責任を放棄しなければ、或いは責任が取れないから世俗的関係を切り捨てなければ、旅を栖とする事は出来ないのです。
これは出家と同じです。
そしてまた旅の空に野垂れ死にする覚悟を持っていなければなりません。
そうして初めて精神の“自由”が得られるのです。

ところで、僕はそんな根無し草みたいな生き方は出来無いなぁ。
究極の自由人と言うのではなくても、興味に応じてたまには住居を移してみる、というのにも抵抗があります。
転居するのなら、仮の住まいではなくて、あくまでもその場所に根を張れるようにしたいな。
その場所の自然とか、文化とか、歴史とか、風土とか、そういうものを感じ、理解して、大切に受け継いでいきたいと思います。
若い時は外国も含めて、色々移動していた人が、年を取ると住居を定め、旅行にもあまり出掛けなくなるのは、やはり何か確実なもの(根っこ)が欲しくなるんじゃないかな?・・・・・
こんな事を考えているだけで、自分ではどうにもならない変化に翻弄されているんだけどね。
いっそのこと、無駄な抵抗は止めて、変わらない確実なものなど無いのだと思い定めていった方がよいのかなぁ。

同級生や知り合いにたまには出会って、声を掛けたり掛けられたり、町の人とも気軽に話が出来る、それほど大きくない町、そんな故郷があったらなあ、と思ってしまいます。
焔さんにとって、札幌はそんな町とは少し違うのかな?
僕は勝手にイメージしてしまって、≪札幌や、北海道はもう一生離れられないでしょ?≫と書いたのだけれど・・・。

さて、根無し草でいられない人は、それでも、否それだからこそ、旅を、自由を、求めてしまいます。
日常から離れればそれは全て旅です。
たとえすぐ近くでも、数時間の事でも。
目的地へ着いてからが旅なのではなく、目的地はあくまでも一応のもので、全ての過程が旅そのものです。
そして帰る所が有るから旅も出来るのです。

放浪新婚旅行問題、≪現実の事と思って≫と書きながら、あまり現実味がなかったかも。
急に思い付いたものだから、・・・。
もっと話を膨らませておけばよかった。(彼の心情だとか。)
<旅は1年に数回行くから楽しみだし、楽しいと思えるんじゃないのかな?日常化してしまうと魅力も半減のような気がするから。>
旅の本質を分かってないね。(←エラそうに!)
<1人の時間がないのは、う〜ん耐えられないかも・・・>
僕にもその気持ちはよく分かります。
一人で静かにものを考える時間がないとイライラして来るのです。
何かに集中している時にそれを中断されたり、また自分で予定していたことの変更を余儀なくされたり、そんなことに全く耐えられない時期がありました。
そのためにおばあちゃんや母親の干渉や話、或いは電話や人の出入りなどと、大きな摩擦を起こしたこともあります。
でも今では結構許容レベルが高くなって、人間が触れ合って生きていくにはそれも仕方がない、というより寧ろ、その事を楽しもうかと思えるようになりました。
・・・・・それでも、まだまだ僕は「自分のことが一番好きなねこ」なのかもしれません。
とはいえ、いつも一緒にいたいから結婚するんじゃないのかな?
なんか矛盾。
<でもやってみる方向であれこれ一緒に思案するのは楽しそうだね。>
そんな風に考えられる女(ひと)は恐らく少ないでしょうね。

さて、僕だったらどう答えるだろう?
女の人の立場に成り代わるのは難しいから、僕が反対に彼女から言われたと想定してみましょう。
でもそんな事を言う女(ひと)はまず絶対いないでしょうから、ますます現実味が無くなってしまうね。・・・・・
「そうだね、今じゃなけりゃ出来ないかもね。たぶん辛かったり悲しかったりすることも多くて、喧嘩もするだろうけど、それを乗り越えられたなら、きっとその後もずっと一緒にいられるよね。旅が終わったら、二人で本当の一から始めよう。それまで出来るだけ色々なものを見て、色々な人に会って、自分達を見つめてこようか。」
そんな風に答えられたらいいんだけれど。
ほとんどドラマの世界だ!?

人間関係というのは、どんな状況でも(2人であろうが、数人であろうが、集団であろうが、立場で1対多であろうが)1対1が基本で、それしかあり得無いと僕は思っています。
もしそうでない関係を考えるとしたら、一人一人が真剣に向き合わない無責任な構図が生まれているだけです。
但し、関係を共有して分担する事は可能です。
そこの所に居宅介護の問題も有るのですよ。
1対1の関係は確かに逃げ場が無くて、どうにもならないこともありました。
それに居宅介護では、直接関わっていない時間でも、四六時中頭から離れないものです。
だから、良きサポートが必要なんだよね。

焔さんは複数の患者さんと真剣に向き合おうとしていらっしゃるのだから、また別の苦労がお有りでしょう。
仕事でも、他の事でも、気持ちの中でいっぱいいっぱいになってしまって「わ〜〜っ」ってなる前に、よかったら手紙に書いて吐き出して下さい。
「女の愚痴なんか聞きたくない。」なんて言わないよ!(エヘヘ・・・。)

『100万回生きたねこ』の絵には僕はほとんど感銘を受けませんでした。
ただ1つ、白い猫にトラ猫が寄り添っている場面を除いては。・・・
生きていく上でプライドは大切だと思います。
トラ猫が捨てたのは、自分を不自由にする‘囚われた心’だったんじゃないのかな。
自分らしく、一番楽に自然にしていられる生き方のためには、いらないものだったのですよ。
ところで、日常の中で本当に「幸せ」と感じられる瞬間が正に瞬間であって、長く続かない事を僕は知っています。
だからいとおしいのです。
そんなところにも僕の涙の訳はあるかな?
焔さんの感銘の内容が今ひとつよく分からなかったけれど、きっとご自分でもうまく整理できないのでしょう。
また何か思い付いたら、聞かせて下さい。
説明できない事はこの世にいっぱいありますよ。
僕の感想は、1つの見方で、それで一応破綻無く説明できたから、僕としては1つの結論に至ったというに過ぎないのです。

『アンジュール ある犬の物語』、これも立ち読みで見てきました。
感想や思い出したことはまた今度ね。

バーテンダーの仕事の場は、焔さんにとって自分らしくしていられない場所だったのですね。
人間は善の部分も有れば、悪の部分もあります。
純粋な部分も有れば不純な部分もあります。
どちらか一方だけという事はありません。
それでも、人を疑うよりは信じる自分、意地悪するよりは優しく出来る自分、欲望に囚われているよりはほどほどで満足できる自分、ものに不感症でいるよりは感じ過ぎて苦しくなってしまう自分、等々・・・自分らしくいられる場に居たいし、自分に正直に生きていきたい。
そんな風に最近、特にここ1年思っています。

良き消費者や、良き市民であるためには疑う事も必要ですよ。
論理的、合理的な理解や判断が常に求められるのが現代社会です。
そうでないと、とんでもないお化けがのさばる事になってしまうでしょう。

‘泣き虫’は焔さんのことでしょ!
『フランダースの犬』はきっと僕もダメだね。
『星の王子様』も危ないね。
映画だったら、『ハチ公物語』や『南極物語』でも危ない。
『キタキツネ物語』だって・・・。
動物ものは特にね。

吉田拓郎のCDは1つも持っていません。
中古でもほとんど出ていないしなぁ。
レコードなら「どうしてこんなに悲しいんだろう」のシングルもあるのかなぁ?
10年以上前に図書館?で借りたLPレコードからカセットに録音したものが手元にありました。

<来るもの拒まず、去るもの追わずって書いていたけど最近は誰も来る人がいないので、「あれ???」って感じかな。>
ご推察の通りです。
返す言葉もない。
もう運命に身を任せて待つのはうんざり!
待っていても何も起こらんよ。
舞い込んでくるのはネコばっかり。・・・・・
焔さんはどうなの?

正規採用、おめでとうございます。
よく頑張ったね。
これで身分保障が得られる訳だ。
やる気も更に湧いてきた?

<シュマリさんがやってみたいことだった?>
大抵の女性の答えは予想が付く(僕はどちらかといえば女系家族の中で育ってきたから、女の人の思考パターンはよく分かる)ので、焔さんはどんな風に答えるのか知りたかったのさ!
先頭の質問に対しては差し障りがあるので、お答えは控えさせて頂きます。
想像はご自由に。

なんか編み物のイメージじゃないけれど(失礼!)、上手なの?
何を編んでるのかな?
将来の彼に編んであげてたりして?
それともお友達のお子さんにプレゼント?
いつだかわからない自分の子供への練習だったりして。(セキめーん!)


TEL ***−○○○−**** の シュマリより



P.S.
今回で、当初予定していた情報は送り終えました。
これでやっと、実在の人間として焔さんに手紙を書いていると思う事が出来ます。
電脳空間には僕が直接手を触れたものなんか存在しないのだから。
個人的付き合いのある人には、あらゆるアクセス・ルート、ゲートは開放しておきたいと思っています。
1つのアクセス方法だけに頼っていたら、何かの事故で不能となった時に、連絡してもらえなくなってしまうからです。
それに自分自身を外に向けて開放しておきたいとも思っています。

昔から、家では戸締まりをすることもないんですよ。
犬が居るからと高を括っているのだけれど、少し危険かなぁ?

メールは保護されていません。
インターネットやケータイ電話にプライバシーなど無いからね。
唯一信じられそうなのは封書の郵便だけ。
だから、一度に送りませんでした。
本当はこんな事に神経を使うなんてうんざり。
保護されていたなら、1通目で送っていれば良かったんだ!

焔さんは僕のやり方に付き合わなくてもいいのですよ。
君が一番自分らしく居られる環境で構わないのです。
・・・・・本音を言えば、プライバシー、プライバシーと面倒な世の中になったもんだと思っている。
こんなに気を遣わないで、知りたければ「友達なら、教えてよ。」で済む事。

余市あたりにも興味はあります。
林檎の「茜」という種類は目にした事がありません。
林檎の好みも似ているみたいだね。
僕も酸っぱいのが好きですよ。
硬い方がどちらかというと好みかな。
「茜」も是非味わってみたい。・・・
実は「紅玉」が一番好きなのです。
これは堅くはないのだけれど、味が濃くて、す〜〜っぱくて甘い。
あと「赤城」なんかも好きです。
でもこちらには滅多に無くて、数年前までは群馬に買いに行っていたのです。
一番多く食べるのは日持ちのする「富士」かな。

昨夜はスパゲッティ・ペスカトーレを作りました。
美味しくできて大満足。

僕の手紙が長すぎて、精神的に負担に感じる事はないのかな?
字数制限が無いと、どうしても正確に誤解無いようにと思って、書き過ぎてしまうんだよね。

話し出したらきりがないよ。
posted by シュマリ at 15:33| 北海道 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | “冬のソナタ”さんへの手紙 第1部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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