本小説はフィクションであり、登場する人物、団体等は全て架空の物です。尚、実在の地域、地名、団体、組織等が登場する場合であっても、それらは全て虚構の世界を形作っているものに過ぎず、現実の世界とは何ら繋がりがありません。  発行者:シュマリ

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2008年02月12日

第34回 件名:シュマリより、ちびまる子になりたいよ〜。


2003−10−17 20:53
件名:シュマリより、ちびまる子になりたいよ〜。



冬のソナタさんへ


まずは夕方ネコが見上げた先にあったものを書きましょう。
天気の良い夕暮れ、日が落ちた直後位の時間です。
次第に青みを失ってゆく空に、変わった飛び方をする鳥?が一羽二羽。
パタパタとまるで蝶のような飛び方です。
実はこれ、コウモリなのです。
恐らくごく普通に見られるアブラコウモリという種類でしょう。
先日もウチの畑の上を何匹か飛び回っていました。
高速で飛ぶ蝶、或いは大きなスズメガ、といった風情です。
きっと蚊などを食べているのでしょう。
去年の今頃、家の中を大きな蛾が飛んでいるな、と思って見ていたら、それがコウモリだったことがありました。
きっとネコが屋根の上で捕まえて、家の中に持ち込んだのでしょう。
川に近い所では、ネコがベランダでコウモリを捕っている、と聞いたことがありました。
でもこの辺りにはいないのかと思っていたのです。
その後、良く注意してみると、夕方飛んでいるアイツらがコウモリだと気づいたのです。
灯台もと暗し。
そう言えば、新宿歌舞伎町で飛んでいるコウモリの写真が雑誌に載っていた事もありました。

冬の星座は華やかで、見えることも多いので、僕は良く覚えています。
あとは夏かな?
他の季節は、どうも良く覚えられなくて。
昴(プレアデス星団)は本当に美しいですね。
六連星(むつらぼし)とも言われて、肉眼では六つの星に見えるらしい。(僕は乱視なので、はっきりしない。)
車のスバルのマークがこれですよね。
空があまりきれいでない所の方が見付け易いのかも?
オリオン座から右へ、牡牛座のアルデバラン、その先の星の固まりがプレアデスですね。

星空といえば、伊勢正三(「風」、「かぐや姫」)に「星空」という歌があります。
中学校の時バレーボール部にいた少女の悲しい独白です。
作詞は喜多条 忠。
これも美しいメロディで、久しぶりに歌ってみようかな。

日本列島温泉行脚の旅は、温泉好きなら誰しも一度は考えますね。
最近は各地で何千メートルもボーリングして温泉施設が出来ているけれど、本当に良い温泉はそんなにはないでしょう。
湯量、湯温、泉質に優れた良い温泉を巡り歩きたいものです。
泥風呂は、九州の別府温泉で入ろうとしたら、閉館時間が迫っていて入れずじまいでした。
惜しいことをした!

紅茶は今は「紅誉(べにほまれ)」という数少ない国産のものを飲んでいます。
ストレートで飲むので、甘いような香りのものが好みです。
但し、紅茶以外の香りを添加したものは、ノーサンキュー。
買いに行った時の気分で、色々飲んでます。

おじいさんには<ひどいことをしてしまったんです>と書いていらしたので、もっと直接的なことかと思っていました。
死を前にしたおじいさんを避けて、或いは逃げてしまったんですね。
10代から、20代前半にかけては若いエネルギーに満ちあふれていて、それをどうするか、自分の事で精一杯なものです。
反面、対局にある病気とか、老いとか、死とかに対して見たくないもの、避けるべきものと感じる事があります。
それは若さへの不安でもあるんですよね。

焔さんにとって、おじいさんとの事は、人生の中の古傷のようなものでしょうか?
何かの拍子にまた痛み出したりするのでしょう?
中には全く傷として感じない人もいるかもしれません。
でもそうした(心の)傷を抱えている人の方が介護には適していると思います。
「生きる」という事はそれ自体哀しい事です。
「生きる哀しみ」のようなものは、そうした傷をいくつも抱える事に因ってしか本当には分からないのではないかと思います。
「生きる哀しみ」を感じ得る人こそ、介護の場で共感を持って接する事が出来るのだと思います。
但し、人に対して常に共感を持って接する事はとても大変で辛い作業じゃないのかと想像します。
数多くの人の人生に共感しそれを受け入れていたなら、きっとすぐに疲れ切ってしまうでしょう。
それで、形式的な作業としての介護も生まれてくるのだと思います。
本当は一部の人だけではなくて多くの人がそうした困難を分かち合わなければならないんですよね。

人生はよく旅に喩えられます。
「旅の本当の意味」といったのはその事ととても関係が深い。
人生が旅なのか、旅が人生なのか、といったところです。
焔さんは一人旅での感動を、<分かち合う人がいないとちょっと寂しい>と書いていらっしゃいました。
それは人生でも同じですよね。
自分で感じたり考えた事に共感してくれる人がいないと≪ちと寂しい≫、でしょ?
「介護」限定の話題からずらしたのは、僕も同じですよ。
ハンドルネーム「冬のソナタ」がテレビドラマの題名だったのか、とか「夏休み」を歌ったとか。
君の誕生日に貰った手紙を読んで、他の事を書いてもいいのかな?とは思いましたけど。

初めて接した人がどんな指向性を持っているのか、普通は少しずつ探ろうと思いますよね。
僕の場合相手に何か聞くよりも前に、自分を有る程度さらけ出して、僕はこんな事に関心があって、こんな事感じているんだ、と先に言ってしまいます。
それで共通の関心事でも有れば何か反応があるだろうし、関心事は有っても僕に興味がなければ無視するだろうし。
でもそれでうまく話しが続いていくかというとそうでもなくて、ここ1年の間でもうまくいかない事ばかりでした。
話を続けていかなければどんな人かもよく分からないしね。
だから、焔さんとは<違和感がない>ことが<違和感>だったのです。
<こんな風な友達が1人ぐらいいても良い>どころか大歓迎で、男であれ女であれ、そんな人に出会える事をずっと望んでいたのですよ。

人が困っている時に助けてあげて、信頼関係を深めるというのは、動物でも同じですよ。
猫のチョビハンは4年前の6月末頃からウチへ来るようになったんだけれど、エサはねだってもなかなかちゃんと撫でさせませんでした。
4ヶ月目の頃だったか、恐らく猫の風邪で具合が悪い時、家の中の炬燵で寝させてやったら(それまでは座敷にはあまり入りませんでした。)、急速に近づく事が出来るようになりました。
人間も動物も同じでしょ?

ご要望のあった初恋かもしれないチョー赤面話、載せておきます。
書いておいたんだ。

あれは寒い冬の日の事でした。
僕と近所の仲良しのエミコちゃんは、外から帰ってきて部屋の炬燵に入りました。
そこには既に親父が昼寝をしていました。
しばらくするとエミコちゃんが言いました。
「としちゃん!わたしはとしちゃんのこと好きだし、としちゃんもエミコのこと好きだよね。」
「ウ、ウン。」(そんなこと言ったっけ?)
「だから大きくなったら結婚しようね。」
「ウ・ン。」(ま、いっか。)
「好きな人同士はキスするんだよ。」
「ソ・オ。」・・・
「わたしたちもしてみようよ。」
「ソウネ。」・・・
「めをつぶって。」・・・・・・・・・・
唇が触れるか触れないかのウチに「うふふ・・・はずかしいネ。はずかしいからこうしたらいいよ。」と言ってエミコちゃんは炬燵布団をまくり顔を隠しました。
「ソウダネ。」僕は応えました。
「うふふふふ。」
「ウフフ。」
「うふふ。」
「ウフフフフ。」
お互いに照れ隠しの笑い声を小さくあげました。
そして少し興奮が収まると、また目を閉じて唇を近づけました。
そんな事を繰り返しながら、何度かキスをしたと思います。

チョー赤面なのは、その様子の一部始終を、ぐっすり寝ていたはずの親父に見られていたことです。
確か、僕とエミコちゃんはもう既にお医者さんごっこをする間柄でした。
このように書くと非常に卑猥な感じがします。
でもお互いの体の違いに興味が有っただけなのでしょう。
だから、キスをするだけであんなにドキドキしたのです。
考えてみるとあの日、二人で戸外から家の中に入って来たのは、キスをするため、お互いそのつもりであったようにも思います。

さて、こんな話、焔さんには刺激が強すぎた?
今迄誰にも話したことがないよ。
ほとんど忘れていた事です。
話す機会もなかったしね。

ところで、エミコちゃんは私立のお嬢さん学校に入学し、僕は公立の小学校へ上がりました。
そうなるとほとんど顔を合わせることもなくなり、たまに道ですれ違っても目をそらして、言葉を交わすこともありませんでした。
子供の頃は、クラスが変わってしまっただけでも、それまで仲の良かった友達とよそよそしくなることがあります。
まして別の学校の生徒となってしまった彼女には声を掛けられなかったのです。
妙な対抗心や、別の世界に暮らしているような感じがあってね。
でも今考えると、気軽に声を掛けられたなら、もっと楽しくいられたのかもしれません。

さて、タレントの誰々がいいな、などと言っているウチはきっとダメなのでしょうね。
焔さんは<これからこれから・・・>と書いていたけれど、なんか力がないね。
誰か本命はいないの?

「たま」のアルバムは、数年前たまたま中古で見かけて、買っておきました。
僕がCDを買ったりアルバムを聴いたりするのはそんな事が多くて、大体数年からへたすると10年位遅れています。
nokkoの「colored」も9年前のだ!
その間フルイにかけられているのかな?
中島みゆきは、歌手生活が長いから色々あるけれど、最近はテレビドラマの主題歌が多いですね。
椎名林檎も中島みゆきも、女の情念みたいなものを感じてしまって、嫌いじゃないけれど、少し苦手な部分もあります。
たまには聞きたいっていう感じ。
平井堅はあのファルセットが美しく好きだけれど、楽曲としては僕の心に未だ響いてくるものがないかな。
よく聴いていないから本当はよく分からないけど。

焔さんは褒められると調子に乗ってしまって、怒られた時との落差が大きいのかな?
でも自分の事はよく自覚していらっしゃるようだから、あまりへこまないで!


及川 の シュマリより

P.S.
栗の木は庭ではなくて、少し離れた畑にあります。
栗はやはり自然の甘みがいいんです。
味付けされたものは栗ご飯でも栗おこわでも頂けません。
長野県の小布施という所は栗で有名で、栗を使ったお菓子などの老舗があります。
そこで栗おこわも食べる事が出来ます。
僕は2軒で食べてみました。
でも栗に甘く味付けが為されていて、これならウチで作った方がよっぽどウマイや、と思ったものです。
名物に美味いものなし、かな?

「ちびまる子ちゃん」は、1970年代の静岡県清水市の生活が下敷きになっているのでしょう。(作者 さくらももこ の出身地と年齢から。)
高度成長期の前の暮らしがまだあの辺りには残っていたのでしょうね。
テレビアニメが始まって人気だと聞いて、何回か見た事があります。
都市化され、管理されたところで生活し、テレビゲームなどで遊んでいる子供たちに、このおもしろさが分かるのかな?と思って見てました。
親の世代からその上の世代の人に受けているのかとも思いましたよ。
僕は、高度成長期よりも前のもうちょっと心や環境にゆとりのある生活をずっと指向しています。
札幌では、東京近郊のこの辺りよりは「ちびまる子ちゃん」の世界に近いっていう事はないのかな?

そうそう、パクチーの乾燥したリーフを買ってきて食べてみました。
酸っぱいような匂い、まあ大丈夫ですね。
初めは気になっていたけれど、何回か食べているウチに美味しくなってきた。
でも生で目の前に出されたら敬遠したくなるかも。

長すぎた〜〜〜〜〜。
posted by シュマリ at 12:57| 北海道 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | “冬のソナタ”さんへの手紙 第1部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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