本小説はフィクションであり、登場する人物、団体等は全て架空の物です。尚、実在の地域、地名、団体、組織等が登場する場合であっても、それらは全て虚構の世界を形作っているものに過ぎず、現実の世界とは何ら繋がりがありません。  発行者:シュマリ

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2008年01月29日

第32回 件名:シュマリより、夕方ネコが見上げたその先に何があったでしょう?

2003−10−12 20:09
件名:シュマリより、夕方ネコが見上げたその先に何があったでしょう?



冬のソナタさんへ


ニセコへの旅行、お天気にも恵まれたようで、良かったですね。
インターネットの天気予報で、秋晴れと出ていたけれど、ご来光はその時の運に左右されるからどうだったかなぁ(?)と思っていました。
僕の予想とはちょっとずれて、羊蹄山の頂上より左でしたか。
星座早見表で日の出の位置を確かめておけば良かったな。

紅黄葉の中の山道や沼、青い空、空気の色・薫り、・・・・・今迄の僕の経験を総動員して焔さんの感じた風景を思い描いてみました。
今の時期の尾瀬、燧ヶ岳の周囲の池糖がきっとそんなだろうな、と思いました。
尾瀬の紅葉はまだ見たことがないけれど、大体想像がつきます。
北海道では本州とは少し違った所もあるでしょうね。
沼の水には色が付いているのかなぁ?・・・・・
満天の星空、もう今なら遅い時間には冬の星座が見られるでしょ?
十三夜のお月見もしていたんですね。
そして露天風呂。・・・・・
焔さんの感動が僕にも伝わってきましたよ。
うらやましいなぁ〜。

焔さんは、ずいぶんと長く温泉に浸かるんですね。
僕の場合、一日の汗を流し疲れを取るために温泉に入浴しに行くということが多いので、温泉そのものをじっくり楽しむということはあまりありません。
好みの湯加減というのは特に無くて、ぬる目ならばゆっくり入れるな、と言う程度です。
最後に熱めのものに入れると嬉しいかな。

「ビギナーズラック」にしろ何にしろ、新たな感動に出会えて本当に良かったですね。
いい経験が出来れば、きっとまた行きたくなるだろうし、それは一つ新しい世界が広がるということですよね。
御来光はまさしく再生(reincarnation)の儀式で、何度見ても心洗われるものです。

山頂でのコーヒーは、めちゃ美味しそうですね。
僕は毎日、熱いコーヒーか紅茶かココアのどれかを必ず飲みます。(暑い季節にはココアはあまり飲まないのだけれど。)
コーヒーは専門店で煎った豆を豆のまま買って来て、家で飲む分だけ挽きます。
紅茶も銘柄を色々楽しんでいます。
だからアウトドアでもコーヒー・紅茶は欠かせません。
アウトドア用のコーヒードリッパーも持っていて、家で挽いた豆を持っていきます。
ただいつも時間的余裕が少ないことが多いので、山頂でお湯を沸かしてコーヒーを入れたことはほとんどありません。

話は変わって、焔さんのおじいさんに対する後悔、もしかすると思春期と関係有るのかな、と思いました。
しばらく忘れていたのだけれど、僕にも大きな後悔があります。
思春期には、周りの大人、特に身近な大人へ対する嫌悪とか批判とかが湧き起こります。
自己の主体性を確立する為に、周りに対して攻撃的になる時期なんですよね。
僕の場合、もちろんおじいちゃんに対しても批判的に見るようにはなっていました。
でも僕の後悔はその事とは直接関係有りません。

おじいちゃんが亡くなる前の月の8月も終わりに近い頃のことでした。
その頃は何年も前から、おじいちゃんの頭を刈るのは僕の役目でした。(厚木に僕が居る時。)
おじいちゃんは一分刈り位の丸坊主だったので、髪の毛が伸びてくるとバリカンできれいに丸刈りにしていたのです。
自分で刈ったり、老眼のおばあちゃんが刈るより、僕がやった方がきれいになります。
僕は小さい頃から、おばあちゃんが刈っているのを見ていてやってみたいなと思っていました。
だから願ったり叶ったりで、楽しんでやっていました。
さて、その8月の終わり頃、おばあちゃんが「おじいちゃんの頭を刈ってやってくれ」、と言う内容の事を僕に言いました。
でも僕は、その時の言い回しにカチンと来てしまったのです。
人の都合も考えないで命令されたような感じがして、反発し、無視してしまいました。
おじいちゃんに対して反発していたのではなかったから、本心では刈ってあげたかった。
でも僕のプライドが素直になることを許しませんでした。
結局おばあちゃんがおじいちゃんの頭を刈ってやり、僕はそれを横目で見ていただけでした。
そして夏休みが終わり、僕は東京へ帰りました。
ところが九月に入って何日もしない内に、おじいちゃんは倒れてしまったのです。
僕はお彼岸の連休にまた来る予定でした。
でもそれを待たず、おじいちゃんは9月の20日に死んでしまいました。

今でも手元にその頃のバリカンが残っています。
大好きなおじいちゃんの匂いがするかのようです。
おじいちゃんの肩や、頭の感触も甦ってくるような気がします。

さて、僕は焔さんのこと褒め過ぎちゃったのかな?
僕は本当に感じたり思ったことしか言葉に出来ないので、おべっかを使うなんて全く有りません。
だから、赤ちゃんの写真とかペットの写真とか見せられたりすると困るんだよね。
「か〜わいいね〜。」なんて言わないとまずいのかな、と思ってしまって。・・・
赤ん坊は自分で持つようになると、どこかのスイッチが入って、みんなかわいく思えるようになるらしいけど。
ペットは十人並み(十匹並み?)以下のものでも、飼ってる人には本当にかわいいもので、客観的に判断しづらいこともあるし。・・・

もし褒め過ぎちゃった所があったとしたら、それは僕の思いこみが入ってしまったのかな。
でも褒め過ぎでないように焔さんが生きてゆけば、それで解決じゃん!?
君自身が書いていた事だから、きっと自分でこうありたいと思う姿が反映されているのだろうから。
人は常に何かの役柄(role)を演じている(playing)んだと思います。
それが本人とあまりにかけ離れたものであれば、それは嘘っぱちで、誰かを欺くためのものなのでしょう。
しかし、自分が自然な形で素直にこうありたいと思うキャラクター(character)は、決して嘘っぱちなものではなくて、真実の自分の姿だと思います。

僕は最近人に対しては、こんな風にあなたのことを考えているし、こんなところを認めているんだよ、と伝えてしまおうと思っています。(否定的なことは置いておいてね。)
それは、前にも書いたように言葉にしなければ伝わらない事もあると思うからです。
と言う訳で、褒められることにあまり慣れていないのでしたら、僕がいい所を見付けて、これからも褒めて差し上げましょうか?

介護の掲示板、冬のソナタさんの書き込みの前後は全部見てましたよ。
僕は、ハンドルネーム「冬のソナタ」に惹かれちゃったのかな?

それはさておき、<今までの友達とは違う違和感があるんじゃないかなぁ?>と焔さんは書いていたけれど、むしろ逆です。
今迄の友達よりも<違和感>が無いことに驚き戸惑っていたのです。
「介護」という話題からの逸脱は、それで冬のソナタさんにとって良かったのかな、と懸念していました。
共通話題の「介護」限定のお付き合いを求めているのかと思っていたし、僕自身も初めはそのつもりでしたから。

顔を合わせないネットやメールや手紙という手段の効果を差し引いても、このようにフランクに話が出来るというのは異例中の異例です。
話をすればする程伝えたい事が湧き上がってくる感じだし、反対に焔さんの話ももっと聞きたいと思うのです。
それはきっと僕の話を焔さんが共感を持って受け止めてくれているように感じ、また君の話を僕自身が共感を持って受け止められている(?)ように思うからでしょう。
こんな事は今迄有りませんでした。

人は誰でも自分の事を他者に理解されたいと願っているはずだ、と以前に書きました。
人を理解するというのは、とても言葉で言う程簡単ではありません。
全面的に理解するなど恐らく不可能でしょう。
人を理解するという事は、単に頭で事実として認識するという事ではありません。
共感の裏付けが無ければ、単に石ころと同じように人を見ているだけです。
だから僕は人とは部分的、限定的でも共感がもてるようなコミュニケーションを取りたいと思っています。

ところで、焔さんとはその共感出来る部分が非常に大きいように感じました。
これはとても意外な事です。
生まれも育ちも性別も育ってきた所も住んでいる所も全く異なっているのに。友達と話していても、相手が身内でも、たとえ親や兄弟であっても、いくら話してもちっとも理解されない、共感されない、と思う事がしばしばあります。
そういう時はいつの間にか話すのを止めてしまっています。
そんな事が多いのに、焔さんに対しては違和感なくこんなに手紙を書き続けたいと思うのだから、「一体どうしちゃったんだろう」って思うでしょ?

またまた話は変わって、僕にとってのお姫様は、まだ現れていなかったのか!!
でも、もうそろそろ目の前に現れてくれないと悲惨なことになるよ。・・・・・
矢田亜希子もいいな。
考えてみるとみんな目のおっきい人ばかり・・・。

イカ天バンドならば結構知っているのだけれど、「BAKU」は知りません。
あの当時「たま」、「BEGIN」、「ブランキージェットシティ」、「フライングキッズ」、・・・色々有ったね。
「たま」のアルバムは2枚持ってる。
「さらば人類」よりも、マイナーでシュールな感じの曲がお気に入りなんだけど。
焔さんは、暗めでパンチがあって言葉に力があるような歌が好きなんだ。
中島みゆきは「時代」(デビュー曲じゃないのかな?)をギター弾き語りで歌う事があります。
あと「三年B組金八先生」で挿入歌として使われた何という題名か「〜 シュプレヒコールの声 通り過〜ぎて行く 〜」と言う歌詞の歌が印象に残っています。
僕はスローバラードも好きですよ。
全般的に言って、メロディがはっきりしていて美しい楽曲が好みです。

もう既に長過ぎているので、また今度。


神奈川県厚木市の シュマリより

P.S.
今日は栗を剥いて栗ご飯を作りました。
栗の自然の甘さが出て、今迄でも最高の出来です。
栗は食べきれない程有るんですよ。
おばあちゃんが植えて、最近は僕がずっと世話している栗の木です。
完全な無農薬有機栽培。

ウチのネコは24時間出入り自由。
ネコ専用の入り口を作ってあります。
柿の木に登ってそこから屋根に飛び移り、屋根の上を駆け回っている事も・・・。
posted by シュマリ at 13:34| 北海道 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | “冬のソナタ”さんへの手紙 第1部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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