本小説はフィクションであり、登場する人物、団体等は全て架空の物です。尚、実在の地域、地名、団体、組織等が登場する場合であっても、それらは全て虚構の世界を形作っているものに過ぎず、現実の世界とは何ら繋がりがありません。  発行者:シュマリ

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2007年12月28日

第23回 件名:シュマリより、地震、怖かった?

2003−09−27 01:08
件名:シュマリより、地震、怖かった?



冬のソナタさんへ


僕からも是非、「ペンフレンド」として文通を続けさせて下さい。
「メル友」というとなんか軽薄な感じがします。
メールを使ってネットの中でゲーム(言葉や概念のやりとりだけの遊びや、友達ごっこ)をしている訳ではないのですから。
僕は自分の感じたこと、考えたことを出来るだけ正確に=冬のソナタさんへ=伝えたいと思っています。
「僕という人間はこんな奴で、こんな風に感じ、こんな事を考えているんだけれど、君はどうなの?良かったら教えてくれない?」そんなスタンスです。

そうしたスタンスを、僕は僕の接する人の多くに対して取れるようになりたいな、と思っています。
そう努力しています。
でもそうすることは気恥ずかしい。
自分自身を全てではないにしてもさらけ出すことになるからです。
そんなことをしていると、人からは嘲られたり、攻撃の材料を与えたりすることにもなるでしょう。
たとえそうであっても、僕はそうすることに決めてしまいました。
だって、僕には地位も名誉もお金も飛び抜けた容姿も美しい声も有りませんから。
有るのはここで考えている僕だけなんです。

僕は人見知りが激しくて、子供の時は挨拶もロクに出来ませんでした。
それは大人になってからもあって、初対面の人とはどのように接していいのか分からなくなることが多くありました。
グループの中では一人はじっこの方で所在なさげにしていたり。
挨拶やたいして意味のないような話題(天候や調子やご機嫌など)の意味を知ったのは、ずっと歳を取ってからです。

僕は、人見知りなのにどういう訳かおしゃべりです。
全く話さないこともあるんだけどね。
色々なことを親によく話す子供だったらしい。
だから学校や友達の事がよく分かったと母親が言ってました。
それに比べ、弟はちっとも話さなかったと言います。
そんな具合だから人にも馴れれば、僕は結構話はする方でした。
話をすること自体は好きなんです。

今はなるべく人には話し掛けるように努力しています。
元々人見知りで人付き合いが苦手だったから、意識してやっていないとダメなんです。
僕から見ておじさんおばさんといった感じの人とは割と話をすることがあります。
特におばさんはおしゃべり好きだからなかなか放してもらえなくて。
ところが同年代以下の若い人とはなかなかうまく話せません。
人にも因るのだけれど。
何がいけないのかよく分かりません。
話題の問題か、みんな忙しいからか。
と言うよりきっかけがなかなかつかめなくて。
話し掛けても話が単発で途切れてしまって、回っていかない事が多いように思います。
「言葉のキャッチボール」は大切ですよね。
僕が話し掛けた事柄に対して話が続いていくような方向の返答がないと、僕も何も言えなくなってしまって、そこで沈黙が訪れます。
そんな時には人見知りの性格が顔を覗かせるのです。
もしかすると僕はコミュニケーション拒否のサインを見落としているのかな?
それとも相手もコミュニケーションの方法に悩んでいたりして。

そんなものだから、冬のソナタさんとの会話はとても楽しく思っています。
なかなかこんな風に話の出来る人はいません。
同性だってそうだし、まして異性では。

ところで、「愛のためいき」の一番の歌詞は、各地で言われているものを取り入れただけで、オリジナルと言えるのは二番だけです。
そしてそれに監督がメロディを付けたのです。

「時をかける少女」を検索していたら、次のものを見つけました。

ひとが現実よりも、
理想の愛を知ったとき、
それは、ひとにとって、
幸福なのだろうか?
不幸なのだろうか?

これは、映画のオープニングに出てくる言葉です。

「愛」とは何か?
「愛」とは、[存在]として捉えるべきものではなく、[状態]として捉えるべきものだと思っています。
過去に愛があったとか、あの人を愛していたとか、そんな風に言えるものは愛ではありません。
外から見れば或る人の中に「愛」を存在として見ることも可能でしょう。
しかし本人の中では、ずっと持ち続けているものとしてあるはずです。
決してある時には持っていなかったり、時間がたったら消えてしまったりするものではないはずです。
だから和子は、無意識のうちに深町を求め、少しでも近づきたいと努力している(薬学研究)のです。
映画のあらすじの中で僕が<二人の間にあった「愛」の存在だけを信じて、和子は生き続ける決心をする。>と書いたのは不用意すぎました。

冬のソナタさんは、この前のメールの中で、「好きな人の記憶がなくなってしまうなんて悲しすぎるなぁ・・・・・でも記憶がなくなってしまうのはやっぱり耐えられないな。」と書いていらしゃいました。
和子は「何があっても絶対忘れない。」と言っていました。
ここに「愛する」とはどういう事なのか?ということに対する一つの答えが隠されているように僕には思えます。
僕がここ数年感じてきたことは、また改めて書くこともあるでしょう。

<「私のこと好きなの?嫌いなの?好きだったら駆け落ちよ!!」なんて言うかなぁ?でもこれってもし自分が言われたらなんか重荷だなぁ・・・・。>

そんなこと考えているうちに男に逃げられちゃうよ!
男は建前とか、枠組みとかの中でしか考えないことが多いから。
それをブレイクスルー(breakthrough)しないと・・・。
深町は、「過去を改変しないルール」を守ったつもりでいるかもしれないけれど、実際には変えてしまったのです。
深町が現れなければ、和子はきっとひな祭りの本当の想い出の相手であったゴローちゃんと幸せな結婚をしていたはずです。
和子の未来は、深町から見れば過去だからね。
尚、深町の未来での名前は、ケン・ソゴルでした。
ちょっとおかしい。
それから、自分から「好き」と言わないで「私のこと好き?」って聞くのは、男を本気にさせるテクニックらしいよ。
冬のソナタさんは既に体得していらっしゃる!?

改めて原作(角川文庫にある)をめくってみたら、映画の方が遙かに完成度が高いことに気づきました。
原作ではSF小説としての体裁を整えるために余計な事象が持ち込まれています。
大林宣彦監督の「時をかける少女」と「転校生」を、冬のソナタさんも是非御覧になって下さい。
これは傑作だと思う。
ちゃちな部分もあるけれど、映画の評価には影響有りません。

赤面するような初恋の想い出が冬のソナタさんにはあるのですね。
僕は、何時が初恋か分からないなぁ。
そもそも何時から恋し始めたのか覚えていません。
そういえば、初恋かどうかは分からないけれど、今考えてもひどく赤面ものの出来事があったことを思い出しました。
小学校に上がる前です。
聞きたい?・・・まぁ、止めときます。
刺激が強いので。

冬のソナタさん好みの男性のタイプを、ブラッド・ピット−竹野内豊−草なぎ剛という流れで見ると、何となく分かるような気がします。
ディカプリオでなくてピット、反町でなくて竹野内、キムタクでなくて剛、そうね、そんな感じね。
それにしても、結構面食いなの?

ブラッド・ピットと言えば、・・・。
長くなるので次回にします。

CBRというと、カウルを付けたレーサーレプリカでカッ飛んでいたのかな?
皮のつなぎでハング・オンなんかして。
膝のパッドを路面にこすり付けちゃったりして。・・・・・
因みに何ccのものに乗っていたのですか?
免許は限定解除?

「最初はなんとも思わなかったけど後で好き」というパターンは、その人を知るに従って次第に好きになっていくという点で、理想的だと思います。
知りもしないのに「好き」というのは、結局第一印象に寄りかかっているだけのような気がするし・・・。
でも「何とも思わなかった」というのはどうかなぁ?
やはり少しは惹かれる所があったから、その人を観察したり知ろうとするんじゃないのかな?
また、直感が結構当たっていたりすることもあるから、「最初は好きで、ずっと好き」もありかな?

他にも書きたいことはあるけれど、今日はこれにて終了。


シュマリ こと 速野 肇乙 より

P.S.
僕は言葉を大事にしていると書きました。
言葉を大事にするとは、自分が話したり書いたりした事柄に責任を持つということです。
責任を持つと言うことは、責任の所在を明らかにするということです。
ですから、僕のケジメとして署名させて頂きました。
僕の場合手紙なら当然の事として、住所・氏名・電話番号、更に今ならEメールアドレスを付記します。
本当は1通目から手紙のつもりで書いていたので、初めからそうしても良かったのです。
しかし、ネット上での問題やルールやマナーなどもあるのでしょうから、ハンドル・ネームを使いました。
尚、これからもハンドル・ネームの方が話し易そうなので、こちらを使わせて頂きます。

冬のソナタさんは、僕の姿勢に拘わらず、ご自分の一番書きやすい枠組みの中で、手紙?を書いて下さい。

冬のソナタさんは北海道の方だから、「シュマリ」というハンドル・ネームに、アイヌ語を感じませんでした?
それから、僕の本名は読めないでしょ?
音読みにしたらなんと読むのでしょう?
でも音読みじゃあないんだよね。
これは読めないのです。
当てずっぽで、考えてね。

辛み大根は、特別に辛みの強いおろし専用の15cm位の大根です。
上州では、大根おろしの汁を搾って、それに味噌を混ぜてつけ汁とします。
茹でて水洗いした腰の強いうどんをそれにつけ、薬味と共に頂くのです。
味噌は大根の辛みを抑え、味付けにもなります。
辛み大根とは言っても、僕が作った三浦大根の方がよっぽど辛いんだけどね。
僕の場合は、讃岐うどんに上州風アレンジを加えたものです。
うどんに味噌を混ぜた大根おろしを掛け、薬味にショウガ、ネギ、ミョウガを使い、すりごまを掛けて、スダチ等の柑橘類の汁(僕は手近にあったレモンを使いました)を掛けます。

また長くなり過ぎちゃった。
posted by シュマリ at 18:05| 北海道 ??| Comment(0) | TrackBack(0) | “冬のソナタ”さんへの手紙 第1部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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