sponsored links
2007年12月02日
第1回 件名:なし
2003−08−23 05:19
件名:なし
冬のソナタさんへ
はじめまして。
シュマリです。
介護する職員によって対応がそれぞれだなんて、素人と同じじゃん、と驚いてしまいました。
病院の実体なんてそんなものなのでしょうか。
僕の祖母は97歳で去る5月に亡くなりました。
亡くなる2年前よりはっきりとボケが始まり、11ヶ月前より急激に進み、8ヶ月前には寝たきり状態になってしまいました。
どちらかと言えば、老衰の一つといえるかもしれません。
ですから、もっと若いうちからボケてしまわれた方とは状態が異なっているかもしれません。
それでも参考にして頂ければと思い、少しお話ししたいと思います。
祖母はボケてから、僕たちとは少し異なる(ずれた)世界に入ってしまいました。
50年から70年以上前のモザイク的な世界です。
そこに現在の人物も何となく存在します。
そして、悲しかったこと(それは主に肉親が亡くなっていった時のことです)を思い出しては毎日泣いていました。
昔のことですから、ひどい貧乏暮らしの中で幼い兄弟もたくさん死に、戦争中には兄や弟が事故や病気で死んでいったのです。
祖母の住んでいる世界がどんなものかわかってきたのはずっと後になってからで、祖母の言動に周りの者は、理解できず、混乱するばかりでした。
そして、祖母の言葉を否定し、何度も今の世界の立場から訂正していました。
でもそうすればする程、祖母は自分の世界に固執し、決して今の世界を認めることはありませんでした。
それに対して周りの者は、強情だと言い、嘲り、罵り、怒りました。
考えてみれば、周りの者は、自分たちの世界を祖母に押しつけ、思い通りにならないことを全て祖母のせいにして、叱ってばかりだったように思います。
ボケが進むにつれ、コミュニケーションが次第にとれなくなっていきました。
僕は祖母と少しでも多くコミュニケーションをとりたいと思い、どうしたらいいのかと考えました。
とりあえず始めたことは祖母の話を聞くことでした。
それによって、祖母の住んでいる世界が次第に分かるようになっていきました。
それには以前に祖母や母や親戚から聞いていたことが助けになりました。
でも、ボケた祖母から聞いた話の中には今までに誰も聞いたことがなかった事柄がたくさん含まれていたのです。
きっと悲しいことが多かったので、心の中に押し留め、人にはほとんど話さなかったのかもしれません。
祖母の話を聞き、その世界を理解するという作業は、祖母を否定することなく、そのまま受け入れると言うことだったように思います。
そうすることで、祖母と少しずつコミュニケーションがとれるようになりました。
祖母の世界に僕自身が入り込む必要があったのです。
周りの者は、祖母がボケてしまったことをどこか受け入れたくない気持ちがあって、なかなかその世界を理解しようとせず、入り込むことが出来ませんでした。
或いはボケてしまったら壊れた機械のように思い、祖母の人格そのものを否定し、切り捨ててしまいがちでした。
ボケてしまっても人格はあります。
それどころか、ボケていく自分に恐れおののき、助けて欲しいと思っています。
自分の人格が今の自分ではなくなってしまうことに対する恐怖はどれほどのものか想像もつきません。
祖母はよく「おばあちゃん、おかしくなっちゃった。怖いよ〜。」と言っておりました。
死の恐怖と共にどれだけ怖かったものか。
「おと〜ちゃ〜ん。おか〜ちゃ〜ん。」と大声で呼び続けていたのは助けを求めていたのだと今は理解できます。
それに対してどれだけ共感を持って接し、苦しみを分け合えたのか、今は後悔の念が募ります。
ただ仕方ないものとして突き放し、傍観していただけのような気がします。
祖母は他のことに対しては反応が鈍いのに、「ボケてるね。」というと即座に「ボケちゃいないよ。」と答えました。
「みんながそんなことばかり言うからおかしくなっちゃったんだ。」とも言っておりました。
プライドはボケる前より高かったかもしれません。
それでも僕は、祖母の頭がちゃんと働き、プライドも生きる気力も高いことを確かめたくて、何度も祖母を傷つけることを言ってしまいました。
次第に反応が鈍くなる祖母に付き合い、少しでも頭の働きが悪くならないようにと色々試していた僕にとっても、何か確かなものが欲しかったのです。
でも今となっては、祖母を悲しませただけではなかったかと悔やんでいます。
人を受け入れること、それはとても難しいことです。
人と人の間には色々な余計なものが入り込んでしまうからです。
でも僕は祖母のボケが進んでからの方が祖母そのものをそのまま受け入れることが出来たように思います。
祖母の中から余計なものが消えてしまったからかもしれません。
犬や猫と接する時、心を空っぽにし、目を見ただけで一瞬のうちにお互い受け入れられることがあります。
それに対して人間は面倒くさいものです。
祖母と接することで僕は、人に対しては誠実にまっすぐにきちんと向き合おうと思うようになりました。
ボケてしまった人の世界を理解するには、その人の歴史を知っている必要があるかもしれません。
ですから、他人がその作業をしようとするには多大な困難を伴うものと思われます。
それでも少しでも意志の疎通を成立させたいと願うのならば、その困難な作業に取り組む必要があるでしょう。
本当は身内の人が理解してあげるのが一番なのだと思います。
たった一例のことから考えたことなので、どれだけお役に立てるか分かりません。
ボケてしまっても皆最後まで人として死んでゆくことが出来る状況が生まれることを願っております。
失礼があったらお許し下さい。
シュマリより
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/70529110
この記事へのトラックバック
http://blog.seesaa.jp/tb/70529110
この記事へのトラックバック

